長野地方裁判所諏訪支部 昭和39年(ヨ)12号 判決 1964年8月10日
申請人 株式会社三協精機製作所
被申請人 吉田忠史
主文
本件仮処分申請を棄却する。
訴訟費用は申請人の負担とする。
事実
(当事者の求める裁判)
一、申請人――「被申請人は申請人会社の大阪支店管理係主任に、本件仮処分裁判送達の日の翌日から七日以内に就労せよ。訴訟費用は被申請人の負担とする。」
二、被申請人――主文同旨。
(当事者の主張)
申請人会社の主張
一、申請人会社(以下単に会社ともいう)は、オルゴール、光学機械、電気機器などの製造・販売をなす株式会社で、その傘下に被申請人の属する三協光学工業株式会社(以下単に三協光学ともいう)その他の会社をもち、右各会社の人事権を掌握し、被申請人は昭和三二年四月申請人会社に入社し、同三八年三月三協光学生産技術センター主任、同三九年三月二〇日付で申請人会社の大阪支店管理係の辞令(以下転勤命令という)の交付をうけたが、右転勤を拒否している。
二、会社が被申請人を大阪支店に移動させる理由は左のとおりである。
イ、会社大阪支店では、昭和三八年後半より、タイムスイツチ製品、マイクロモーター製品の需要が急速に増加し、その組織拡充、右各製品の販売諸計画の実施、カメラの直販計画に備え諸調査と体制の確立、取引先を中心とした諸情報の蒐集などが必要となり、増大する事務量に対応して、事務改善の導入が要請されるに至つた。
ロ、右課題を解決するために従来三協光学生産技術センターが行つて来た生産技術改善業務を実地に即応させることになつた。
ハ、被申請人は右生産技術センター主任で、入社以来管理事務を一貫して担当し、事務改善、機械化業務の処理能力にすぐれ、関西出身で妻も両親も関西出身のうえ、子供も幼少で転校の必要がない。更に大阪支店勤務には勤務地手当一六%が付加され総収入が増加する。
三、保全の必要性。被申請人は正当の理由なく会社の転勤命令を拒んで、会社の企業所有権(経営権)を無視しているが、仮に会社が被申請人を解雇する事態に至れば、労働組合との好まざる摩擦を生じる虞があり、企業経営合理化の途中にある会社が大きな打撃をうける。更に大阪支店は既に被申請人の受入態制を整え、被申請人の居住家屋を保証金及び家賃を支払つて確保し、国際見本市が開かれたのにかゝわらず業務管理を整えられず、業務遂行に多大の損害を蒙つている。又他方既に今回の定期移動により転任した者からも苦情が出て、会社の威信は崩壊しつつある。
四、以上の理由により申請人は雇用契約上の就労請求権に基き、民事訴訟法第七六〇条によつて、被申請人に対し本件仮処分裁判送達の翌日から七日以内に会社大阪支店管理係主任として就労すべき旨の仮処分を求める。
五、(被申請人の不当労働行為との主張に対し、)会社はもつぱら企業の必要性から移動を行つたもので、被申請人の労働組合活動を阻害する目的は有しない。差別待遇の事実もない。他にも現役の組合役員及び旧役員を移動させている。
被申請人の主張
一、会社には就労を直接、間接に強制する権利がない。即ち、仮処分で就労を命じることは憲法で保障する思想及び良心の自由に反し、又強制労働を強いる結果となるから、本件仮処分申請は違法である。
被申請人は会社の本件転勤命令を不当労働行為としてあくまでも拒否する態度であるため、会社は本件仮処分命令を被申請人解雇の手段として用いる意図を持つて本件申請に及んだものであるから、かゝる手段は権利の濫用として許されない。被申請人は仮に本件仮処分申請が認容されたとしても、これに従う意思は全くない。
二、本件仮処分申請は、被申請人が会社大阪支店管理係主任という一会社の特殊限定的地位、又は職務内容に就くことを目的としているが、このような地位は法律上の救済を求める利益を有する地位ではない。また団体内部の紛争は極端な行き過ぎのないかぎり国家権力が介入できないもので、その団体の自律規制にまかされるべきであるから、いずれにしろ本件申請は許されない。
三、保全の必要性。会社はその業務命令権、あるいは就労請求権を確保する手段として、就業規則による懲戒処分(解雇、出勤停止、減給など)をなしうるもので、それらの手段をとることなく、直ちに国家権力による救済を求める必要性は全くない。
さらに、会社は被申請人が転勤を拒否していることから莫大な損害を蒙り、かつ会社の威信が崩壊するというが、被申請人が仮の地位として大阪支店へ赴任することになれば、被申請人の職場における闘争は事実上壊滅し、これを阻止するための長期かつ困難な訴訟行為は全く不可能になり、回復しがたい損害を蒙ることは必至である。この被申請人の蒙る損害は会社が自ら招ねいて不当な措置をした結果蒙る会社の損害とは比較できない重大な損害で、この点からも保全の必要性は全く認められない。
四、仮に以上の点が認められないとしても、本件転勤命令は会社の被申請人に対する不当労働行為であつて、無効な命令である。
被申請人は従来労働組合役員として、組合内外において活発な運動を行つて来たが、これに対する会社の支配介入は非常に激しいもので、遂に本年二月には会社の組合員に対する介入が成功し、被申請人は組合執行部から排除されるに至つた。会社は被申請人が組合役員の地位を失うや直ちに本件転勤命令を出し、事実上組合活動の全く不可能な、大阪支店へ勤務させることにより、被申請人を組合活動から排除しようと意図しているものである。会社の主張する人選基準なども、先に被申請人を大阪支店に転勤させることを決定しておいて、後にそれを合法化するために作成したもので、被申請人以外に大阪勤務がより適正な人物は多数存在する。
(疎明省略)
理由
一、申請人は本件において、雇用契約に基き被申請人の就労義務の履行を求めているので、このような就労義務の履行を実現させる手段について考えるに、憲法第一八条及び労働基準法第五条に定められた強制労働もしくは意に反する苦役の禁止の法理からして、就労義務を直接に強制することはもちろん、いわゆる間接強制(民事訴訟法第七三四条)によつてこれが履行を強制することも許されないものと解する。従つて申請人の求める就労義務の履行は訴訟法上の執行に親しまず、ただ被申請人の任意の履行に期待するほかその履行を実現させる手段がないものである。
ただ、一般に強制執行に親しまない義務についても、訴によりその義務の存在を確定し、その義務の内容たる給付を命じる判決をすることはこれを妨げないから(例、夫婦同居を命じる判決)、仮処分によつてもこのような義務の履行を命じることは許されないものではないと解する。この場合、当該債務名義の名宛人が当該裁判に服し、任意に履行すれば、当該義務の履行は実現されるもので、任意に服しない場合に進んで強制執行をすることが不可能なだけである。
従つて、この点に関して被申請人が本件仮処分申請を強制労働を強いる結果となるから違法であるとする主張は理由がない。
二、然しながら、民事訴訟法第七六〇条の仮処分は争いのある権利関係につき、その不確定のために生じる著じるしい損害を避け、もしくは急迫な強暴を防ぐなどの理由で暫定的な地位状態を形成し、これを維持実現する必要のあるときに発すべきものであるから、本件のような仮処分命令を同条によつて発付するには、少くともその必要性との関連で、債務者が仮処分命令を任意に履行する可能性がなければならないものと解すべきである。なぜならば、債務者の任意履行が全く期待できない場合にも、かような仮処分命令を発付するとすれば、当該仮処分命令が発付されても当事者間の現在の地位状態には事実上何ら変化をきたすことがないので、本案の裁判まで待たずに緊急に債権者を保護するという所期の目的について何ら実効が挙がらず、ひいては同条の仮処分制度自体を逸脱することにもなるからである。(このことは、婚姻生活が全く破綻し長年にわたつて妻と別居生活を続け、すでに他の女性との間に数児までもうけてこれらと同棲している夫に対し、妻の側に被扶養その他の必要性がありながら、任意履行を期待して夫婦同居を命じる仮処分命令を発する必要性があるかどうかについて考えるとき、自ら明らかになることである。)
従つて、強制執行の方法がなく、ただ債務者の任意の履行に期待するのを唯一の手段とする内容の仮処分命令を求める際、債務者に任意履行を期待することができないことが明らかな場合には、その仮処分申請は民事訴訟法第七六〇条にいう保全の必要性の要件を充していないものとして排斥されなければならない。
三、そこで本件についてこれをみるに、被申請人は本件転勤命令を不当労働行為としてこれを抗争し、被申請人自ら提出した準備書面において、仮に申請人の求める仮処分命令が認容されたとしてもこれに従うことはできない旨明言し、あくまでも現職場に止つて、本件転勤命令の撤回を求める立場を堅持する意思を表明していること、その他弁論の全趣旨からして、被申請人に申請人の求める仮処分命令の任意履行を期待することはできないことが明らかである。
してみると、仮に本件仮処分の被保全権利が認められても、前記説示のとおり、本件申請は民事訴訟法第七六〇条にいう保全の必要性がないものとして許されないものである。
四、結局本件仮処分申請は保全の必要性が認められないからその余の点を判断するまでもなく棄却を免がれない。
よつて、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 馬場励 中川敏男 片岡正彦)